Dikaiosyne(δικαιοσύνη)はふつう「義」あるいは正しさと訳されます。聖書ではそれは単なる個人的道徳以上の意味を持ち、神が人を御前に正しく立たせる契約の中の正しい関係を指します。Charis(χάρις)は恵みであり、私たちの功績によらず神から始まる無償の賜物です。Soteria(σωτηρία)は救いであり、ゆるし、聖化、そして永遠のいのちへの歩みを含む広い意味を持ちます。
一つの言葉だけでパウロとヤコブを分けないこと
それぞれの書簡は別々の問いに答えています。カトリック信仰は信仰とわざを、一つの恵みの流れの中で読みます。語源研究は、ローマ書の「義」が現代の標語と同じ響きではないことを見せてくれますが、語源は教理の代わりにはなりません。
典礼の中で聞く
多くの聖歌や典礼の祈りは、恵み、救い、義について語ります。これらの語は、祈りと礼拝から切り離された単語カードとしてではなく、主日の朗読全体の中で聞かれるときに最もよく理解されます。
Soteria:今すでに始まっている救い
新約のいくつかの箇所では、soteria はすでに働いている救いを指します。神はご自分の民を罪と霊的死と最終的滅びから救われます。これは「パウロは恵みだけを語る」「ヤコブはわざだけを語る」という偽りの分断を避けてパウロを読む助けになります。異なる語が仕えているのは、一つの救いの賜物であり、それは生活の中で本当の応答を求めます。
Dikaiosyne と社会的正義
旧約では、神の義はしばしば貧しい人や周縁に置かれた人への配慮と結びついています。ですから今日このギリシア語をキリスト者の生活に適用するとき、義を個人的内面の状態だけに縮めて、共同体的責任を忘れてはなりません。
安全な学び方:「ポップ・ギリシア語」を一人でしない
だれかが「このギリシア語は本当は……を意味する」と言うときには、よい辞書や注解書がそれを支えているかを確かめるのが賢明です。一つの lemma だけでローマ書全体の意味は決まりません。文、段落、そして時代を通しての教会の読みが大切です。良い語学研究は典礼と教理の中に根を下ろし、救いの語彙を最も誠実に読ませてくれます。


